ダラットの開拓者!ベトナム名誉市民のイェルサンを徹底解説

ダラットの開拓者!ベトナム名誉市民のイェルサンを徹底解説

皆さん、こんにちは!

ダラット観光局の三好です。ベトナムの避暑地として知られるダラットに住み始めて2か月となりました。ダラットでは、ダラットを開拓したイェルサンという人物をよく耳にします。イェルサンとはどんな人物か気になったので、今回は、この開拓したフランス人医師イェルサンを紹介していきます。

フランス人医師イェルサンとは

ダラット ヤ―シン
出典:wikipedia

イェルサンの本名は、アレクサンドル・エミール・ジャン・イェルサンです。(他にもヤ―シンやイェルシンと呼ばれることもあります。)

1863年9月22日にスイスに生まれ、1943年3月1日にベトナムにて没しました。職業は、医師および細菌学者です。最近学者の北里三郎と同時期にペスト菌を発見したことで日本でも有名な医者です。イェルサンは、冒険家・医者・教育者の3つの肩書をもっています。

 

冒険家

ベトナム国内を4度の冒険し、ダラットを開拓!資金集めに奮闘!

Photo by Greta Farnedi on Unsplash

 

医師(細菌学者)

ベトナム初ペストを治療した医者認定!マラリア抑制にも多大なる貢献!

教育者

ハノイ医科大学設立!初代校長としてベトナム医学に貢献!

出典:ハノイ医科大学

イェルサンの略歴

年少期から青年期

1863年:イェルサンの両親は、フランス人であり、スイス生まれでした。スイスとドイツの大学を卒業後、フランスの医学に貢献するためにフランス国籍を取得します。

1890年:フランスでのパスツール研究所の名誉ある地位が保証されていたにも関わらず、冒険心、挑戦心をもち、船の船医としてフランスの植民地のベトナムへ渡航

ダラット開拓とペスト治療に大きな貢献

ダラットの朝もや

1893年:国際医療チームの一員として生活する一方で、まだ未開発だったベトナムの開拓に力を注ぎました。4度目の探検のちに、ダラットのラムビエン高原を発見し、ダラットの街をインドシナ政府に避暑地にするように進言しました

1894年:ベトナムのペスト大流行に伴い、研究のため、香港に渡航。世界的な功績としてペストの病原菌を発見しました。

 

□豆知識~ペスト菌とペストの歴史~
ペスト菌とは、肌が黒くなる死の病気『黒死病』と呼ばれ、ノミを媒体にして人間に伝染する伝染病です。感染したネズミから伝染することを突き止めたのがイェルサンです。ペストは、未治療の場合は、致死率が30%-60%までと言われています。現在でもペストのワクチンは作られておらず、抗生物質のみの治療となります。アフリカなどではまだまだみられる恐ろしい伝染病です。

ニャチャンでの研究所開設とハノイでの医科大学設立

イェルサンが設立したニャチャンにあるパスツール研究所(出典:wikipedia)

1895年:パスツール研究所を開き、所長として医学、疫学など多方面に活躍しました。当時のベトナム農業は牛に依存していたため、牛が病気になれば農家は生計が立てることができなくなるのが問題でした。イェルサンは、家畜の病原菌を調べ家畜への伝染病を発見し、ベトナムの農業に貢献しました。

1930年:Yersinは、ハノイ医科大学の前身であるÉcoledeMédecinedel’Indochine(インドシナ医科大学)の最初の学長に就任しました。フランスの大学のカリキュラムを参考にカリキュラムを作り、自らも大学で教鞭をとりました。

83歳での死去とその後

1943年3月1日:第二次世界大戦中、イェルサンはニャチャンの自宅で亡くなりました。

2004年:イェルサンの名前を用いたイェルサン大学がダラットに設立されました。

2013年12月31日:アレクサンドル・イェルサン生誕151周年を記念して、ニャチャンで「ベトナム名誉市民」をイェルサンに死後授与されました。

イェルサンの偉大な功績

イェルサンは、教育面、農業面、都市開発、医療面など多方面非常に大きな功績をベトナムに残しています。その中でも後世に語り継がれる3つの偉業を残しています。

ペスト研究をした小屋(出典:wikipedia)

 

ペストの病原菌発見

ペスト大流行に伴い、研究のため、香港に渡航。わずか一週間でペストの病原体を発見し、ねずみから人間に感染することを発見しました。治療法をさらに研究するため、ニャチャンにパスツール研究所を建設し、中国やインドでもペストから治療しました。

 

マラリア治療

ベトナムでは、マラリアを治療するためのキニーネの原料となる植物をダラット地帯に植えました。2年間で671ヘクタールもの栽培面積を増やし、マラリアの拡大を抑えました。この功績により、ベトナムを含むインドシナ半島地帯へのマラリアを抑える十分な薬の配給をすることができました。

 

ダラットを開拓

1893年、イェルサン博士が当時、未踏の地であった中部高原地域のランビアン山を発見。少数民族の居住地だったこの地は、フランス人によって避暑地として開拓されました。それ以来、高原地域ダラットはその恵まれた気候ゆえに『永遠の春の街』と呼ばれ多くの人に愛されています。

ダラットの記事はコチラから

ベトナム国民にとっての存在

イェルサンはベトナム史に残る功績をベトナムに残し、ベトナム栄誉国民となりました。ベトナム国民にとって、イェルサンの存在はいかものだったのかを見ていきます。

ヤ―シン博物館

ニャチャンにあるイェルサン博物館(出典:ALO TRIP)

 

ベトナム国民につけられた愛称 Ông Năm(オンナム)

イェルサンはベトナムに多くの深い記憶を残し、この地域の人々は軍事医学の大佐(5行の軍の階級)にちなんで彼をÔng Năm(オンナム)と愛情を込めて呼びました。(Ôngは、 『さん』のような敬称であり、Nămは、『5番』という意味です。)

 

三キロの葬式の列

イェルサンは、フランスで名誉ある地位に就くこともできたにも関わらず、ベトナムのニャチャンをこよなく愛し、ニャチャンで息を引き取りました。遺言には、遺骨はニャチャンの地に埋めてほしいとのことだったようです。イェルサンを偲び、三キロの葬式の列ができたと言われています。地名の『ニャチャン』という名前の由来は、イェルサンが白い家に住んでいたからという説もあります。

 

ベトナム名誉市民

アレクサンドル・イェルサン生誕151周年を記念して、ニャチャンで「ベトナム名誉市民」をイェルサンに死後授与されました。ベトナムでは、道の名前が偉大な歴史人物の名前になっています。ベトナムの主要な都市のハノイ、ダナン、ニャチャン、ダラット、ホーチミン市にはすべて、イェルサンにちなんで名付けられたイェルサン通りがあります。

最後に

ダラットは、フランス人医師イェルサンによって開拓され、現在はベトナムを代表する観光都市に発展しました。ダラットの美しい都市設計、コロニアル時代の遺構がみごとに調和し、異国情緒溢れる街並みを生み出しています。ダラットの美しい景色をぜひこの目で見てみてはいかがでしょうか。

ダラットの街並み